merry’s posterous

娘の授業参観

とにかくイライラする授業参観でした(笑)
しばらくはなにがこんなに嫌だったのかわからなかったけれど。

一番の原因は勉強が楽しいって雰囲気がまったくといっていいほどなかったことかも。

入学したての1年生なんてすべてが新鮮で。
カンタンな授業だって自分ができることがうれしくて。
元気に手を上げることが楽しくて。
あててもらって答えられたらそりゃあもう得意で。
それを親が見てくれるとなればさらにテンションUPでw

そんなキラキラがほとんど見えなかったんだよなぁ。

じゃあ何が原因か。

申し訳ないけど先生だと思う。
先生はとっても穏やかな人で教え方は淡々としすぎている気もするけど
それがとびきりひどいわけじゃない。
そういうタイプの人がいてもおかしくないなぁ、ぐらい。
教材も工夫してるし。
まんべんなく指名するし。
参観日なんてかなり緊張するだろうしね(笑)

でもものすごく根本的なところで、こどもたちを全くほめなかったんだよね。
できないことは穏やかに注意を促すけれど
できたことは当たり前としてそのまんま。
大人にとってはあたりまえのことでも、子どもに、特に1年生にとっては大きなことなのにな。

来週は家庭訪問。
ここらへんの話、うまくできるといいんだけど。

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老いる

GW中に義両親が遊びに来たのだが
滞在中に義母が車のドアに手を挟まれた。

前のドアと後ろのドアの間の柱(?)に手をかけて乗車しようとしたときに
義父が前のドアを閉めたのだ。
幸いひどい怪我にはならなくて少しの間冷やす程度で済んだ。

その柱にはそこに手をかけないようにと目立つステッカーが貼ってある。
でもそれが見えなかった(もしくは見ようとしなかった)義母。
そして手をかけないと車に乗れない義母。

また義母の手に全く気づかなかった義父。
「ドア閉めるよー」とか声もかけなかった義父。

体力も視界も想像力も狭くなっていく。

老いるとはそういうことなのかなぁとちょっと思った。

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テスト

ここのとこサボってたらやはりポカがある。やっぱりちゃんとTo doリストを作ろう。

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twitterとposterousの同時投稿テストその2

野球に全然興味がない自分でもここまでいろんなドラマがあると決勝戦見ちゃうじゃないか!

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twitterとposterousの同時投稿テスト

教えてもらったのでやってみる。
今日は娘の希望により室内プラネタリウムをひっぱりだして鑑賞会。
7年ぐらい前のしろものだけどなかなかどうしてちゃんと動く。
もっとも星座、まったく知らないんだけどねw
それにしても。
やっぱりある程度モノのない空間でやらないと、だな。
間違っても花粉症対策に洗濯物をほしてるところなんかでやると
もはや星座じゃないしw
まぁ、娘は大喜びだったのでよしとしよう(^^)

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勧善懲悪

・・・ずっと完全懲悪だとおもってました。
これはこれであってるようなw

さてさて、理想の女性(って言い方であってる?)として挙げられるのが
峰不二子とドロンジョなのではないかと思います。
これは男女問わず人気があるっぽい。

ただ私はというと、子供のころから不二子ちゃんはさほど好きじゃなかったんです。
で、ドロンジョ様は結構好き。
どっちもぼんきゅっぽんという点では同じ。
そしてどっちも悪役。
じゃ、この差はなんなんだと思ったら報われ度なんですね。

不二子ちゃんは男を手玉にとってほしいものをGETする確率が高い。
たまには失敗もするけれどね。
ドロンジョ様はというとほとんどが失敗に終わる。
それだけでなくオシオキまで食らってしまうという。

悪は必ず滅びる、とまではいかなくてもやっぱりこずるいことして
報われるっていうのが嫌いなんだなぁと気づいた次第。
どっちが現実社会に多いかは別として、ね。

ただそれを言ったらそもそもルパン三世って泥棒なわけで
それは好きだったんだから矛盾だらけなんだけどさw

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丹羽裕子さん

たとえそれが興味のない分野の本だったとしても
目の前にそれしかなかったら読むのが人情。
ましてやその場所がトイレならなおのこと。
少なくとも自分はそうです(笑)

で、今日読んだのが雑誌の「ボディビルディング」。
特集は「中高年からのウエイトトレーニング」。
自分の年齢よりはちょっと上の人向けの特集だけれども
そこにインタビューで出ていたのが丹羽裕子さんって人。

自分より17歳も年上の人だけど・・・。
なんだよ、その若々しさは!
ま、ボディビルなんでムキムキすぎる傾向もあるっちゃあるけど
足のラインとか肌のはりとかもう参りました!って感じ。
で、何がビックリしたってウェイトトレーニングを始めたのは42歳からだと。
それまでエアロビをちょっとやってたとはいえスポーツ選手じゃない人でも
ここまで持ってこられるんだと。

よく「何事にも遅すぎることはない」って言う。
頭ではわかっていても実感としてわかることはなかなかない。
この記事に出会ったことはものすごくいい出会いだった、そう思う。

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小心者

今日で産後2週間。
病院でもらったガイドブックによると今日から家事解禁。
これからは大手を振って(?)できるというものです。

実際のところは退院してすぐだろうがなんだろうが
ある程度は(本当に最低限だけど)やらないと回らない状況だったので。
で、そういうときの気分ってなんかすごくやなんだよねぇ。
ほら、今は平気だけど後で響くってよく言うじゃない?
でも個人差もあって具体的にどうなるかが明確じゃなく、
漠然とした不安だけがあるような感じ。

さて。
この件で改めて思ったこと。
先の見えないものに関しては自分、ものすごく小心者なんだなぁと。
だからこそわからないものは調べられるだけ調べて知識をつける。
そうすると現時点でできることも見えるから不安が減る。

それはそれで有効な方法だしやらないと困ることも多々あるからいいんだけど。
今回のように調べても漠然としてるもの、どうしようもないもの、
「個人差」って言葉で片付けられるものに対しては無茶苦茶弱いってことになる。
一歩間違えるとマニュアル人間にもなりかねない。

なんかわからんけど来るなら来いや、なんとかしちゃる!
っていういい意味での無鉄砲さがもうちょっとほしいなぁと思った次第です。

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教えるのがうまい人

新人のころ、授業をするときはそのコマの3倍の準備が必要といわれたことがある。
その中には教科内容をほりさげて調べておく時間も含まれるが
下手をすると調べたことの8割は使わないかもしれない。
万が一の質問のための引き出しのようなものなのだ。
3倍の時間にはいかに伝わるように説明するかにかける時間が含まれているのだ。
そこを間違えると「知識はあるけれど教えるのが下手な人」ということになる。
toshiさんの業者の件を読んでそんなことを思い出した。



ところで、私にとって大人に対して教えるのがうまい人のひとつに(全部は語りきれんw)
「本当にものごとをわかっている人」というのがある。
で、わかるには手順みたいなものがあって

覚えるべき物事や摂理→具体的な理解→抽象的・一般的に発展させた理解

だと思っている。
で、大人社会での会話はだいたいはこの最終段階の一般論で形成されている。
それを勘違いして、真ん中をすっ飛ばしてわかった気になってる場合がある。
そういう人は相手が理解できずにつっこんだ時に具体的な話ができない。
本当はわかってないんだから当然の帰結。

言い換えると教えるのがうまい人とは
「いざというときに子供にもわかるように教えられる人」じゃないかな、と思う。
簡潔さと平易な言葉と具体性が求められるのでわかってないと本当無理。
やつらは手ごわいのだ(笑)

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そのままうっちゃっとく

前に書いたことと関連して思い出したこと。

妬みだとか嫉妬だとかイライラだとか
ネガティブな感情部分のコントロールは確かに難しいんだけど
そういうものなんだ、ってどこか冷静に認識してる自分がいる。
あ、今の感情は嫉妬だよなぁ、うんうん、って感じでw
で、そういう風にどこか他人事に見られると変に正当化しなくていいし、
違う方向にあたることが少ない気がします。
とんでもなく手前味噌だけどさw

性分として自分の感情を分析する癖はあったのでその結果ともいえるんだけど
大学のときの授業の影響があるのかも、とふと思いまして。

行ってた大学はバリバリ仏教系の大学。
1回生の週に1度は座禅を組む、っていうのがありました。
座禅って大きく分けると2通りありまして。
ひとつはいわゆるお題をひたすら考える。
手を打ったときになったのは右手か左手か、みたいなヤツですね。
もうひとつは無心になる。

母校は後者のタイプで。
「座禅を組んでいるときに「おなかが減った」とか「今の音は何だろう」なんて思うのは悪いことじゃない。
ただそこから「じゃあ何を食べようか」とか思うのじゃなくてそれはそれでそのまま流すんです」
だそうです。
卒業して15年もたった今になって、ようやくちょっと実感を伴った気がします。

結局私は現在仏教徒でもないし、その他特別な宗教にもはまっていないけれど。
そういうものが廃れそうでいながら今なお続いている理由はその奥深さにあるのかもしれませんね。

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