社会参加、っていうほど重いものじゃなくて
つい最近まで子どもの教育には地域社会の協力が必要っていわれても
いまひとつピンときてませんでした。
自分の子どもは親が育てるのが当然でしょう?みたいな。
強いて言うならたとえば遠足や運動会の日は場所を多くとったりうるさかったりするけど我慢してくださいね、
悪いことしてたらできればしかってくださいね、ぐらいの感覚でしか考えていませんでした。
それもあながち間違いではないんだろうけど。
さて。
先日ファミレスを利用したのですが、スロープのところには誰も自転車を止めていない。
けれどもスロープが終わってすぐのところに自転車が止めてあって
これじゃ車椅子の人は回転のスペースがないので動けない。
スロープは車椅子を利用する人などが使うから物を置くのはやめましょう、っていうのは本や啓発ポスターを読めばわかること。
でもその先まで考える力が本当は必要なのだ。
それを想像力の欠如、のヒトコトで片付けるのは簡単だけれどそのあたりは個人差があるわけで。
でもたった1回でも自分が車椅子を押す経験をしていたら結果は全然違ってくるんじゃないだろうか。
そして現代社会ってそんな経験値を積む機会が無茶苦茶少ないように思うのだ。
うわ、その経験値をつむためには地域社会の人とのかかわりが欠かせないではないか。
ものすごく身構えていろんな体験をしましょう、ということではない。
地域の人とふれあうこと、もっと気軽に学校にきてもらってかおしゃべりするとか、
一見遊びに見えるようなことが大きな財産になるんじゃないかな。
と、ここにきてさらに気づく。
いや待てよ、一番身近な社会がそこに通う生徒の親達じゃないか、と。
あ、なるほど、PTAってそのための組織なのか、ってようやくわかったかも。
同時に自分が今まで全くといって言いぐらい地域だとか社会だとかに貢献してなかったこと、
それをまったく悪いと思っていなかったことに反省。
別に自分を捨ててまで貢献しろってことじゃなくて、できることをやればいい。
そんなことに気づくのに40年近くかかってるわ、とちょっと凹んだりしてw
そんなわけで、小学校の読み聞かせのボランティア、参加することにしました。
乳児のいる環境でどこまでできるかはわからないけど社会には赤ちゃん連れてる人もいる、
そういうのを知ってもらうだけでもいいのかなと思います。


